222th例会アルバム
京都歩く会(第222回例会)
2024年9月28日 26名参加
=竜馬も木戸も、新選組も、三条河原の悲劇も現場はここ
スナップ写真集
作成2024,10.4 全員写真はホームページ表紙に掲載
03→四条大橋東詰、「出雲の阿国像」前を出発直前の一行です。
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07→四条大橋西詰、先斗町入口。駒札を見て石畳の通りを進む |
10→先斗町通の狭い路地を抜け木屋町通りへ。高瀬川沿いの元・立誠小学校は今やホテルに。 江戸時代に高瀬川開削を行った京都の豪商・角倉了以顕彰碑前へ。 |
24→「酢屋」の向かいは高瀬川からの荷上げなどの舟入跡が残り、酢屋の2階から龍馬はピストル を撃つ練習をしていたとの話に過去の例会では幕末へ想いを馳せたものだが、今や近代ホテルが建ち 舟入跡は小さい箱庭のようなものに。.. |
33→徳川幕府を終わらせようと「薩長同盟」を仲介し命を狙われた坂本竜馬の寓居跡、材木商「酢屋」。
今日は休業日との札が残念! |
38→鴨川の眺めと東海道53次の終点三条大橋について、幕末この先、三条小橋の旅籠「池田屋」で起こった新撰組による長州、土佐藩の尊王攘夷派の志士襲撃事件についても、説明を聞いた。 |
49→1595年、豊臣秀吉により謀反の罪を着せられた豊臣秀次は切腹、妻妾や子らは三条河原で公開処刑され、穴を堀 り遺体を埋め塚を築いたとされる場所に建つ「慈舟山・瑞泉寺」へ。 |
59→瑞泉寺境内には、処刑に際し引導を授けたとの地蔵菩薩や、殉死した秀次の家臣10名を含む49基の五輪石塔が、秀次の首を入れた石びつを囲むようにあった。 |
69→高瀬川沿いには、各藩邸跡や幕末の勤皇の志士たちの寓居跡を記す駒札や石標があちこちに。 ここには加賀藩邸との駒札、藩邸の敷地の大部分は今は御池通りに。 |
82→四条から出発して二条の「高瀬川一之舟入跡」へ到着。角倉了以の邸であったという現在の
日本銀行京都支店と、別邸で源流庭園と言われ、現在のがんこ二条苑は目の前だった。 |
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